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外宮と内宮の間、間ノ山(あいのやま)の道が昔の参宮道
。
(その昔古市地区は長嶺とも呼ばれており、外宮と内宮へ参る尾根伝いの険しい山道であったそうです。当時の道路事情からも、この道を通らんければ内宮、鳥羽、志摩方面へも抜けられませんでした。
右は古市参宮街道の入り口、小田橋の絵図。その街道沿いに遊廓地として賑わったここ古市。当時
江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭の一つとして知られていました。おかげ参りなどで賑わいを見せたその当時、「参宮客の精進落としなどと称し
」、お楽しみの場として、歓楽街として……「伊勢参り、大神宮にも、ちょっと寄り」という川柳があるほどに活気に満ち溢れていまた。
遊郭など約70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋3、4軒。中でも備前屋・杉本屋・油屋の遊郭は特に有名で、備前屋は古市屈指の大楼閣で、桜の間の伊勢音頭の総踊りが有名
(下は備前伊勢音頭総踊りの錦絵図)。油屋で 起こった殺傷事件は「伊勢音頭恋寝刃」として今でも歌舞伎で演じられています。この他、「お杉とお玉」の小屋跡など残るように歌舞伎、浄瑠璃も盛んでした。特に伊勢歌舞伎は全国的にも知られており、役者の登竜門として古市で名を挙げようとする者も多かったようです。
今でこそ、その栄華を示すものは、何も残っていませんが、町並みの中や旅館麻吉、参宮街道の道標、古市参宮街道資料館などで、その面影を
垣間見ることが出来ます。 |
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江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭の一つ当時油屋・備前屋・杉本屋・は三大妓楼として特に有名でした。
古市参宮道はお伊勢参りともに栄えました。
参宮客の往 来で賑わい、参宮を済ませた人々の精進落としの場として賑わい、その栄華を誇りました。
左は当時の街道の面影を偲ぶ麻吉旅館前の道標。
「左 あさま、二見への近道」
「此 おく つづらいし」 とあります。 杉本屋伊勢音頭の図 |

現在の麻吉旅館 現在の古市
妓楼ではありませんが、
古市の当時を偲ぶ建物としては唯一現存する
老舗旅館「麻吉屋」
「伊勢参宮春の賑」より 麻吉 |
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「お伊勢いきたや伊勢路がみたいせめて一生に一度でも
」と伊勢音頭にも歌われるようにお伊勢参りは当時の人々の夢でした。街道の人々の暖かな心使いにも助けられ、無事お参りを終える事ができる‥‥皆さんのおかげ、おかげ参りとも呼ばれました。 |
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◆おかげ参り全盛期の江戸時代「東海道膝栗毛」にも登場します。 |
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千束屋で遊ぶ弥次・喜多(東海道膝栗毛より) |
藤屋にたどり着いた弥次・喜多 |
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江戸時代古市には古市三座と呼ばれる芝居小屋が建ち、「伊勢の古市で評判をとらなければ、京、大阪のヒノキ舞台は踏めない」と言われるほど、古市は役者の登龍門
。伊勢歌舞伎、浄瑠璃、芝居とたいへんさかんでした。 |
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「お杉とお玉」の小屋跡 |
<お杉とお玉>三味線や胡弓をかき鳴らし、参宮道者に愛嬌を
振りまいて投銭を乞う芸人「お杉・お玉」は有名でした。 |
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歌舞伎「油屋騒動」の錦絵図 |
妓楼(旅館)油屋の跡 |
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◆麻吉歴史館 |
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開館は日曜のみ。10時〜15時
お問合せ 電話 0596−22−4101
創業以来二百数十年。今でも現役の旅館です。
蔵を利用した歴史館は「まちかど博物館」のひとつ。 |
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◆伊勢古市参宮街道資料館 |
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休館は月曜日(祝日の場合は翌日)、拝観料=無料
休日の翌日(日曜日は除く)、年末年始。 9時〜16時30分
お問合せ 電話0596−22−8410 江戸末期から明治時代ころの古市にまつわる歌舞伎の台本や番付、
錦絵などが展示されています。 |
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