境内ご案内

昭和59年10月28日 現住職を迎え晋山しました。
その後、現在の本堂は平成9年3月に改修工事が始まり、平成10年3月に完成したものです。
(▼改修工事の模様)

平成10年5月10日には盛大な、▼落慶法要が行われました。以前の本堂は明治27年のもので この時の改修工事まで約108年間、長年の風雪に耐えてきました。老朽化が進むと同時に、昭和34年の伊勢湾台風の折には全壊に近い状態でした。

◆ご本尊

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)

◆比翼塚(ひよくづか)

歌舞伎「伊勢音頭恋の寝刃」で有名な油屋騒動の主人公「孫福斎」と「油屋おこん」の菩提を弔う。

◆昔、塚にはほこら「愛染堂」が、建てられていました。残念ながら、 伊勢湾台風により全壊してしまい、現在は裸の比翼塚です。

◆今でも、油屋騒動を題材に、舞台などが行われると、出演する芸人さんなどが必ずこの菩提にお参りされます。 

※『比翼塚』詳しくはこちらから

◆田井戸地蔵尊

80cmの立像と20cmほどの坐像からなる地蔵尊。

その年代、由緒とも明らかではありませんが、永代山の田井戸にあったものを大林寺へ預けられたものです。灌漑用の水祈願のために建立されたものとされています。
以前は田井戸地蔵尊の祭礼は毎年7月24日に行われ、2輪加 漫才 落語 映画 福引などの催しなどで賑わったそうです。

 

◆庚申塚(こうしんとう)

庚申塚は庚申信仰に基づく庚申待の講中によって立てられたもので、もとは村の入り口とかに邪霊や悪鬼が村に入らぬように、病魔 悪魔 邪鬼を除くとされる正面金剛がを主尊としています。  

一面六臂で三猿を踏まえ日輪、月輪の刻出があります。

◆稲荷社

昭和40年ごろ現在の寺庭南側に移転。
田井戸地蔵尊 庚申塚 稲荷社と三宇併立、東面してまつられています。

 

 

 

 

◆愛染明王

愛染明王(あいぜんみょうおう)は遊廓街の古市にあって、遊女たちの守り神として信仰がありました。現在でも水商売等に携わるかたがたのお参りも続いています。

 

 

 

 

◆句碑

伊勢ゆかりの俳人 山碕石斎の俳句が書かれた句碑。俳句結社神風館15世爲田只青の門人で、麦林舎10世を継いだ。明治34年(1901)6月、67歳で没す。明治35年(1902)4月、赤心会らが建立。

◇山碕石斎の句碑(写真左)
名月や 松ものいはは こととはむ

伊勢一之木に住み、麦林舎中川乙由の門人で俳画もよくした。明和9年(1772)68歳で没す。この碑は、安永7年(1778)如之の七回忌に当たり、養子麦雨斎吏_が建立。

◇麦保堂如之 の句碑(写真右)
道からの道は迷はぬ花野哉

◆大林寺の大蘇鉄(現在は修道小学校に移植されています。)

修道小学校裏にある大蘇鉄。その昔、大林寺より移植されたものです。修道小学校は、以前、大林寺本堂の北端に隣接して建っていましたが、明治41年に現在地に移建された時、同時に移植されたものです。それから100年・・・立派な大蘇鉄に成長しています。

◆養老院と桜

市営養老院が山門の北側に建設されたのは、昭和26年である。そして鬼頭夫人が幸運にも、主任介護人として採用されたのである。戦後の廃退した世相に苦しんでいた時だっただけにまさに救いの神だった。同時に寺庭石崖際に桜の苗木が5本植えられた。これが年々成長し、養老院すでに去った今も、日ちび尾の目を楽しませてくれた。が、昭和34年の伊勢湾台風によりうち3本が枯死した。